団塊の世代がこぞって買うので大人気となっている毎月分配型投信であるが、その道の「ご専門家」には至って評判が悪い。あんなものは投資の正道ではないとか、円高リスクを見ていないとか、元本割れ確実とか、はたまた、あれのおかげで日本の資金は外債に流れるから日本株がさえないのだとか散々。本当にそうか。バルザックの小説(19世紀パリ)で検証してみよう。
取り上げるのは『ペール・ゴリオ』(ゴリオ爺さん)。あれにとても身に詰まる話が出ている。当時のフランスの金融市場はたいへん発達していて、ある意味では現代日本の金融市場より高度に発展した金融商品が目白押しだったのであるが、毎月分配型投信はなかった。当時のフランスに毎月分配型投信があれば、ああいう悲劇はなかったのである。
お話しとは:
お金持ち(だった)ゴリオ爺さんは二人の娘を盲目的に愛している。二人には高額の持参金を付けて嫁にやり、自分はわずかばかりの年金で下流の下宿暮らし。ところが娘達はいっこうに親離れしない。妹娘の方が恋人と逢い引きのためのアパルトマンを買って欲しいと無心に来る。ゴリを爺さんは言う:
この発言の意味するところを鹿島茂が解説してくれているが、つまり当時の国債利率は5%なので、売った国債の額面は27000フラン(2700万円)。12000フラン(1200万円)でアパルトマンの支払いを済ませ、残りの15000フラン(1500万円)で年間1200フラン(120万円)の受け取りのある終身年金を設定したと言うことなのである。
ところがこの終身年金とは一旦設定すると解約が出来ない。このすぐ後に姉娘の方が自分の恋人の借金の肩代わりのために12000フラン必要だと言ってくる。もうお金はない。ゴリオ爺さんは「娘がいるというのに終身年金なんか設定して、お前は娘がかわいくないのか」と叫んで壁に頭をぶつけて後悔する。あれやこれやで(結局終身年金を担保に高利貸しから400フラン借りるはめに)、ゴリオ爺さんは無一文になってしまうのだが、毎月分配型投信が当時あればそんなことはなかったのである。おまけにゴリオ爺さんはその後すぐ死んでしまうので終身年金は損だった。
ランティエの基本哲学は絶対に元本には手を付けないと言うこと。これを守らなかったゴリオ爺さんはその段階ですでに破綻しているのだが、自由に売買できる国債より売買できない終身年金の方が利回りが高いと言うことがミソ。国債よりはるかに分配率が高く、しかも自由に売買できる毎月分配型投信は、蓄財型の投資商品ではなく、この二つの中間点を狙った年金型商品としてとらえなければイケナイのである。
いままで創造性に全く欠けていたニッポンの金融界がはじめて魅力的な商品を作ったのである。そんな商品を思いつかなかった他のファンドマネージャーのねたみや中傷は無視して置いていい。
お話しとは:
ペール・ゴリオ パリ物語 バルザック「人間喜劇」セレクション (第1巻) バルザック Honor´e de Balzac 鹿島 茂
藤原書店 1999-05
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お金持ち(だった)ゴリオ爺さんは二人の娘を盲目的に愛している。二人には高額の持参金を付けて嫁にやり、自分はわずかばかりの年金で下流の下宿暮らし。ところが娘達はいっこうに親離れしない。妹娘の方が恋人と逢い引きのためのアパルトマンを買って欲しいと無心に来る。ゴリを爺さんは言う:
よし、年利1350リーヴル(135万円)の永久国債を売ろう、売ったお金のうち、1万5000フランで抵当権のしっかり付いた1200フラン(120万円)の終身年金を買っておいてから、残りのお金でお前の買い物をしよう。
この発言の意味するところを鹿島茂が解説してくれているが、つまり当時の国債利率は5%なので、売った国債の額面は27000フラン(2700万円)。12000フラン(1200万円)でアパルトマンの支払いを済ませ、残りの15000フラン(1500万円)で年間1200フラン(120万円)の受け取りのある終身年金を設定したと言うことなのである。
ところがこの終身年金とは一旦設定すると解約が出来ない。このすぐ後に姉娘の方が自分の恋人の借金の肩代わりのために12000フラン必要だと言ってくる。もうお金はない。ゴリオ爺さんは「娘がいるというのに終身年金なんか設定して、お前は娘がかわいくないのか」と叫んで壁に頭をぶつけて後悔する。あれやこれやで(結局終身年金を担保に高利貸しから400フラン借りるはめに)、ゴリオ爺さんは無一文になってしまうのだが、毎月分配型投信が当時あればそんなことはなかったのである。おまけにゴリオ爺さんはその後すぐ死んでしまうので終身年金は損だった。
ランティエの基本哲学は絶対に元本には手を付けないと言うこと。これを守らなかったゴリオ爺さんはその段階ですでに破綻しているのだが、自由に売買できる国債より売買できない終身年金の方が利回りが高いと言うことがミソ。国債よりはるかに分配率が高く、しかも自由に売買できる毎月分配型投信は、蓄財型の投資商品ではなく、この二つの中間点を狙った年金型商品としてとらえなければイケナイのである。
いままで創造性に全く欠けていたニッポンの金融界がはじめて魅力的な商品を作ったのである。そんな商品を思いつかなかった他のファンドマネージャーのねたみや中傷は無視して置いていい。
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